今思う小学校時代 part1

小学校時代は人間関係でとても悩んでいた記憶があります。

今思えば、そんな事、と思える事も多いですが、少なくとも今の性格を形成する要因になっていると考えれば、そんな事、とするには軽率だと思えます。

立派な悩みです。

●小3

この頃から他人に迷惑をかける事は良くない事だという考えがありました。

今も変わらず思っているし、間違っていないと思います。

しかしそれが結果として深い傷になりました。

とある生徒が授業妨害をし続ける日が続いていました。

私としては明らかにクラスの秩序が乱れていると感じていて不快だったのです。

最初は争いましたが、次第にお互いを避けるようになりました。

というのもその彼はゲームの中心、私はスポーツの中心。

その彼はゲームで遊ぶ時私だけを家に呼ばず、私はスポーツをするときその彼と同じチームになったりする事を嫌いました。

そんなある日、その彼がクラスでいじめられているという話を担任にし出しました。

ハッキリ言っていじめなんてありません。

私とその彼が喧嘩していただけです。

しかし担任は犯人探しを始めました。

今思えば完璧主義でヒステリック気味の担任だったので当たり前でしょう。

しかし子供というのは残酷なものです。

男子全員が、〜くんにやれって言われました。

と私を名指ししたのです。

おそらく私が担任にいじめられていると言えば、その彼がいじめっ子にされていたでしょう。

残酷な話です。

その後担任に泣きながら弁明しました。

なんとなくわかったようなわかってないような態度をされ、結局そこでその話は終わり。私は全く気持ちが晴れませんでした。私にも悪いところはあったかもしれないが、なぜこんなレッテルを貼られなくてはならないのかと。

中心になり、意見を持つという事はそれなりの責任を伴います。

結果としてその人に責がなかったとしても、周りがそうしたてあげればその人の責になってしまうのです。

翌日?翌週?には私をいじめっ子にしたてたクラスメイトも普通に私に接してきました。

小3にしてなんとなく、こういう人間にはなりたくない。そして人は信用できない。

そう思った出来事でした。

記憶、記憶ときたから記憶を書いておこう

令和にもなった事だし、来年30歳だしって事で今までの人生を振り返って記そうと思います。

結構なんでそんな事覚えてるのってぐらい記憶力は良い方な私ですが、現時点での記憶が数年後そのままの形であるかなんて定かじゃないから外出ししておきたくて。

誰が読んでくれてるのか、そもそも誰も見てないだろう感はとてもありますが頑張って書きます。

 

記憶

記憶ほど大事なものってあるのかなあって思うんですよね。

唐突な。笑笑

例えばもし明日起きた時に今までの記憶が全てなくなってたら、生きてはいても本質的には死んでしまっているとも言えませんか?

そしてそれを唯一生きているとしてくれるのは、周りの人達の記憶なわけです。

周りの人達の記憶からも自分がいなくなっていたとしたら、記憶を失う前の自分を認識させてくれる人は誰もいなくなってしまいます。

そんな事を考えていると、家族と話をしている時に思い出せない過去の記憶がでてくると悲しくなります。

もし家族が覚えててくれなかったら、その時の自分って、誰も覚えてないんですからね。

あったけどなかったって言えるわけです。

そう考えると今の地球では脳だけ生存させて仮想空間で生活させるとかはできないから、他者にある自分に関する記憶や記録が1番大切なのかな。。。

それは仮に自分が死んでも唯一生き続けるモノだから。

歴史に名を刻めってやつですね。

歴史に名を刻みたいなあとは子供の頃から思ってたんですけど、気づけば刻まずにアラサーです笑笑